【マメ知識】 |
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ようこそ異次元(?)の雅な世界へ(^O^)
ここは私の趣味で開いたページです。当初イラストレーターで作品を作っていましたが、娘の「お母さん手書きの方が、雰囲気が良いよ!」の一言で恥ずかしながら自筆の歌を掲載することにしました。 |
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◆太田道灌 |
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◆太田道灌(1432〜86) |
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室町後期の武将で「江戸城」開祖として知られています。
江戸城以外にもいくつか城築したようです。
狩りに出かけたとき、雨に合い、近くの民家で「簑」を拝借しようとして、その家の才女が右の「句」を詠んだのですが意味が解らず、その後猛勉強したらしいです。
「簑はないのです」という意味です。風流な答え方ですね。昔はこんな人がたくさんいたのでしょうね。 |
★『七重八重 花は咲けども山吹の 実の一つだに 無きぞ悲しき』 |
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◆小野小町 |
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◆小野小町(生没年不詳. 出自不詳) |
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平安時代の女流歌人。六歌仙・三十六歌仙のひとり。
絶世の美女としても有名で、百人一首(左記参照)の歌は特に有名…
宮中に仕え、多くの男性から求愛されたとされるが、深草少将とのエピソードは特に有名で、彼女の毎日来てくれたなら、100日目に、 お目にかかりましょうという言葉で日参するが、不幸にも99日目に落命してしまったという。
終焉の地なども色々あるようですが、彼女の生涯は伝説とされています。
でも、百人一首などに名前が残っているということは、実在していたのだろうと思います。私が読んだのは病気で道ばたで行倒れて骨になり、汚くて見られない状態だったそうです。美女も死んで
しまったら、 「普通の人と変わらない」という教訓めいた物でした。相聞歌なども多く残されています。 |
★『花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる 眺めせしまに』 |
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◆静御前 |
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◆静御前(生没年不詳) |
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鎌倉時代の白拍子、源義経の愛妾として良く知られています。
京の舞の名手として名高かく、平家討伐の戦勝祝いの席で義経と出会ったとされています。この後兄頼朝に疎まれた義経と共に西国に逃れあちこちを点々と移動するのですが、吉野で義経とはぐれた後捕らえられ鎌倉に送られます。
そして鶴岡八幡宮で奉納の舞を舞うように頼朝から言われたのですが、「吉野山 峰の白雪ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」と義経を恋うる歌に続き右の有名な歌を口にし舞ったようです。その為頼朝を怒らせ、生まれた子ども(男の子)を海に沈められたと言います。
その後、鎌倉を離れ、奥州に逃れた義経の後を追ったようですが、義経に会える事なく亡くなっています。どこで亡くなったのかも判らないのですが、日本各地に幾つか「静の墓」とされる場所があります。この悲運の舞姫が、義経と共に、人々に如何に愛されていたのか解るような伝承ですね。 |
★『しづやしづ 賤(しず)のをだまきくり返し 昔を今に なすよしもがな』 |
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◆秋の七草 |
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◆秋の七草 |
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「ハギ」・「ススキ」・「キキョウ」・「ナデシコ」・「クズ」・「フジバカマ」・「オミナエシ」
山上憶良が詠んだ歌『秋野尓 咲有花乎 指折 可伎數者 七種花』『芽之花 乎花葛花 瞿麦之花 姫部志 又藤袴 朝皃之花』に基づき決められた花のようです…
芽之花(萩の花) 乎花(ススキ)葛花(クズバナ) 瞿麦之花(ナデシコの花) 姫部志(女郎花) 又藤袴(フジバカマ) 朝皃之花(?朝顔or桔梗) |
『秋の野に、咲きたる花を、指(および)折り、かき数ふれば、七種(ななくさ)の花』
(山上憶良) |
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